ハイホーの山日記




あさひまちいちばんがい
朝日町一番街 
高山市



朝日町


飛騨高山に朝日町という街区がある。朝日町と言っても、平成の大合併で高山市朝日町となった旧朝日村とは場所が違い、市内の国分寺通りから西に入った繁華街の朝日町である。地元の人なら朝日町一番街と言った方が、とおりがいいかもしれない。私は、昭和43年の夏から3年ほど、大学の夏休み期間中、この辺りによく通った。

なぜなら、学生時代、夏休みの大半を高山市で過ごしたからである。高山市から乗鞍岳や新穂高、平湯温泉から上高地へ行く登山バスのガイドのアルバイトをしていたのである。バイト仲間はすべて京都の大学生で、多いときは100人近くの学生が、飛騨国分寺に寝泊まりしてバイトに励んでいた。なぜ、京都の学生が、高山で登山バスのガイドをしていたのかと言うと、当時、京都には京都学生観光連盟と言って、地方からくる観光バスのガイドを大学生が請け負っており、夏休みには修学旅行生が京都に来ないので仕事が少なく、その期間中だけ、高山の濃飛バスに請われて、登山バスのガイドをすることになったのが始まりである。我々、学生ガイドの団体の名称は「乗鞍友の会」と言った。

当時、私がよく通っていた居酒屋の「かっぱ」、「土筆」は、朝日町一番街にあった。「大和」は、少し離れていた。総和町だと思ったが、もう場所の記憶はない。ぽっちゃりとした、やさしいおかあさんが一人で切り盛りしていた。喫茶店は国分寺通の「稲豊園」へは毎日のように通った。「稲豊園」は今でもあるが、2階にあった喫茶店は営業していない。名田町の「米屋」は、昔と同じ場所にある。そして本町の「糸屋」…。「糸屋」は、その後、郊外に引っ越したと聞いたが、新型コロナ禍を乗り越えたかなぁ?。

バイト代は時給70円と極めて安かったが、衣食住は会社が支給してくれた。ユニホームは会社指定。普段の食事は、会社から指定された食堂で食べることができる食券を、1日3食分支給された。泊まるところは高山以外にも平湯、新穂高、上高地、乗鞍畳平に会社の宿舎あり、他にお金を使う場所もないので、居酒屋と喫茶店は常連だった。


朝日町


社会人になってからも高山には何度も訪れたが、夜の街を散策する時間がなかった。2010年、山登りのために高山で前泊したので、45年ぶりに朝日町一番街に立ち寄ることにした。「土筆」が店仕舞いしたのは風の便りに聞いていたが、「かっぱ」は、あるかどうか分からなかった。早速、朝日町に向かった。「かっぱ」が、あった。佇まいは、昔と変わっていなかった。小上がりに腰を落ち着け、久々に飛騨の酒を堪能した。「山車(さんしゃ)」と「久寿玉(くすだま)」は、変わらない味だった。

「山車」には、思入れがある。飛騨の酒はたくさんあるが、特に「山車」が気に入り、上三之町にあった蔵元の原田醸造によく通った。ひんぱんに顔を出すので、店のおばあさん(もう故人だが、私は勝手に「山車のおばあちゃん」と呼んでいた。)と顔なじみになった。高山を去るときは、いつも一升瓶を買いに行ったので、そのうち、徳利に入ったお土産用の酒をくれるようになった。キスリング(登山用のザックのこと)に、他の荷物と一緒に一升瓶と徳利を入れて京都に持ち帰ち帰るのだが、キスリングは肩ベルトにクッション性がなく、ウエストベルトもないので、肩に荷重が集中する。バランスよくパッキングしないと片方の肩が痛くなる。

その後、高山に行っても、原田醸造に立ち寄れなかったときは、川尻酒造で「天恩(てんおん)」、「地恵(ちけい)」だったり、「ひだ山水(さんすい)」を購入した。自分で運ぶと重いので、もっぱら宅配便を利用した。車で行ったときは、タイムリー(飛騨にあるコンビニ)で氷を買って、「氷室(ひむろ)大吟醸」を冷やしたまま持ち帰ったこともあった。

余談だが、キスリングは昭和の遺物かと思っていたら、今でも使う人がいるようで、昔と同じ形のものが売られている。 50リットルの小さいものだが、何と48,400円もする。京都の一澤信三郎帆布なので、高級品だ。私が持っていたのは、素材はパラフィン加工がしてあるものの、大学生協で買った生地も薄い安物だった。背の部分に校章がプリントされていたが、汚れたので洗濯機に入れたら、ほぼ消えてしまった。一澤帆布製は、小さいのに、1.5キロと重い。キスリングは横幅があるので、山道のような狭い道だと、体を横にしないと対向者にぶつけてしまうことがあるので、使いずらい。やはり、昭和の遺物だ。

当時、「かっぱ」に行ったときは、大人数で行くことも多く、たいていは座敷を使っていたので、店の人の記憶はないが、「土筆」は、カウンターだったので、よく覚えている。若いおかみさんと、おかみさんより、少し年上のオネエサンのお二人とは、よく話をした。 お二方ともご存命だと思うので、もし、お会いすることができたなら、昔話をしたいものだ。「土筆」があった場所は、既に他の店に変わっており、はっきりとした場所すら覚束なかった。あんなに足繁く通ったのに、…。

「かっぱ」で、酒を運んできてくれたオネエサンは、勤めて30年以上だというので、昔のことを聞いてみた。すると、「昭和40年ころだったか、京都の大学生がよく店に来ていたことは、聞いたことがあるが、当時の人はもういないので、分からない」と言われた。もう、50年も前のことだから、分からなくて当然だろう。

なお、朝日町をご存じない方に、簡単に街をご紹介する。高山を訪れる機会があったら、高山駅からも歩いても近いので、ぜひ、夜の街のご散策を(地図はGoogle mapより)。

朝日町


高山市の中心街を東西に貫く国分寺通りがある。その通りから北側、宮川から西側に朝日町がある。街は一番街、末広二番街と区分けされており、大衆居酒屋、割烹、小料理屋、バーなどの呑み屋や飲食店などが、狭い路地に並んでいる。その数は、市のHPによると200店以上はあるそうだ。高山にある7つの蔵元の地酒が味わえるのはもとより、伝統の郷土料理や、朴葉(ほうば)味噌料理、飛騨牛、川魚・山菜料理、高山ラーメンなど飛騨ならではの料理が味わえる。

なお、高山七蔵とは、平瀬(久寿玉)、川尻(天恩)、二木(氷室)、平田(昇竜の舞)、舩坂(深山菊)、原田(山車)、老田(鬼ころし)の各醸造場 (カッコ内は、代表的な銘柄)。一番上の写真に写っている看板の「蓬莱」は、飛騨古川にある渡辺酒造店の地酒なので、高山の酒ではない。


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