沖縄県の山歩き

ハイホーの山日記

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  • "<b>公園西口から弁ヶ岳</b>"
  • "<b>弁ヶ岳頂上から北方面</b>"

☆はじめに  /  Prologue

「仰げば高し弁ヶ岳…」と首里高校の校歌に歌われた弁ヶ岳は、山というより小高い丘なので、この山登りのサイトで紹介するのも気が引けるが、特筆できることがある。この山の頂上には、沖縄本島(離島を除く)には8つしかない一等三角点があるのだ。

というわけで、出かけてみることにした。道路地図で見ると山全体が、弁ヶ岳公園になっており、公園の中央を東西に道路が通っている。公園だから駐車場はあるだろうと思って調べてみたら、ネット情報では、管理事務所前の駐車場は閉鎖されているとかで、ほかには駐車スペースが見当たらない。グーグルマップで見ても路駐する以外に車を置けそうなところがない。そこで、ゆいレールの首里駅から歩くことにした。
上の写真は、① 公園西口(県営鳥堀住宅付近)から弁ヶ岳、② 頂上から北方向を撮影(中央左の塔は、首里駅近くのドコモ首里ビル)。
なお、このページの背景は、深縹(こきはなだ)の沖縄草木染め。

《ご参考》沖縄本島の一等三角点は、北から ① 与那覇岳、②八重岳、③ 妙山、④ 高離(たかはなれ)島、⑤ 平敷屋、⑥ 弁ヶ岳、⑦ 須久名山、⑧ 八重巣岳である(HP「日本の三角点」から抜粋)。④の高離島は、宮城島(うるま市)にあり、橋がかけられて陸続きになった。

なお、琉球の古文書には「冕嶽(べんだき)」とある。「冕」は冠の意味で、琉球の諸々の峰に冠するという意味だった。、いつから「弁」の文字になったのかは定かではない(比嘉朝進氏)。


☆データ  / Date

登山日 : 平成27年9月8日
山 名 : 弁ヶ岳
読 み : べんがだけ、びんぬうたき
標 高 : 165.7m(那覇市では最高峰)
地形図 : 那覇


☆登山口へのアクセス  /  Access

首里駅から一番分かりやすいのは、駅のすぐ東北の汀良(てら)の交差点を南下し、最初の信号を左折すれば、あとは一本道なのだが、この道だと登山口から頂上まで、すぐ着いてしまうので、少しでも雰囲気のある道を歩くため、次のコースを選んだ。
1.ゆいレール首里駅を降りて、広い道路を東北に進む。
2.汀良郵便局、沖縄海邦銀行を過ぎた次の信号を右へ。
3.疎水沿いに進み母子生活支援センターの角を右へ。
4.道なりに進むと、弁ヶ岳公園北口がある。赤瓦の東屋と公園名の書かれた岩が目印。


☆コース  /  Course time

首里駅---(10)---公園北口---(10)---頂上---(2)---石門---(15)---首里駅

端数は5分単位で切り上げ。5分未満は、そのまま表示。

☆記 録 / Report

今回は、国土地理院の地図ではなく、道路マップを持って出かけた。那覇市首里にある「弁ヶ岳」は、琉球王朝時代、国王の祭祀が行われるなど、丘全体が神聖な場所とされている。道を挟んで東側の小高い杜になっている方が大嶽(うふだき)、西側の低い方が小嶽(くーだき)といわれ、ともに拝所である(「弁ヶ嶽由来」より)。那覇市では一番高いところにあり、天然の要塞としては首里城のある場所より優れていると思うのだが、どうしてここを城としなかったのかは、よく分からない(石門の前の説明碑に東側が大嶽、西側が小嶽とあったので、このページでも、そのまま掲載したが、何か違和感があったので、先日散歩に行ったときコンパスを持参して確認したところ、大嶽は道路を挟んで東側ではなく北側に、小嶽は南側だった。ここはパワースポットなのコンパスが狂ったのかと思ったが、コンパスは正常だった。碑文の間違いと思われる)。

北門から雑草の繁った道を登って行くと石畳となり、昼でも薄暗い。前方が明るくなると石畳の道が二股になる。左に入ると車道が現われる。この道が公園を東西に横切っている。コンクリート製の石門があり、その右に薄い道がある。腰高近くまである雑草を掻き分けていくと、あっという間に一等三角点のある頂上に出る。一等だけあってデカイ。潅木があるので360度とはいえないが、那覇市内が一望できる。眼下には開邦高校が見える。この学校は、県下の公立高校では偏差値が一番高いと聞いている。冒頭に弁ヶ岳は、首里高校の校歌に歌われるとご紹介したが、この開邦高等学校の校歌も「首里城東の弁ヶ嶽…」で始まる。写真を撮っていたら蚊の集団に襲われた。あわてて退散した。5ヶ所刺されていた。なお、石門のすぐ後にも敷き石の道があったので登ってみたが、「木龍字具志久乙姫王の石碑」の先で行き止まりだった。

なお、弁ヶ岳と七福神の弁財天とは縁(ゆかり)がある。本土では弁財天は、福徳・諸芸能上達の神として、また見目麗しく柔和な神として信仰されているが、琉球では悪い心を持つ者を罰する怖い神だという。17世紀のはじめに琉球にやってきた日本の僧、袋中(たいちゅう)は、弁財天について、こんな話を残している。ある日、王の悪口を書いた落書きが見つかるが、犯人が分からない。そこで、役人が弁ヶ岳に27日間、参詣したところ、犯人が自首した。弁ヶ岳は外来の神々が降臨する地であり、27日間というのは、弁財天が降臨する日数なので、犯人が見つかりますようにと弁財天に祈っていたものだった(「目からウロコの琉球沖縄史(上里隆史著)」より)。

なお、石門前の小さな碑には、弁ヶ岳と石門について、次のように由来が記されている。碑が小さいので往路は気がつかなかった。
『弁ヶ嶽』(原文のまゝ)
1956(昭和31年)12月16日
沖縄県史跡指定
「首里城の東方約1kmにあり、海抜は165.7mで、沖縄本島中南部では、最も高い峰の一つです。そのため、かつては航海の目標ともなりました。一般に「ビンヌウタキ」と呼ばれ、峰全体がご神体とされ、1945(昭和20)年の沖縄戦で、この地において激戦が展開されるまでは、琉球松などの大木が茂っていました。弁ヶ嶽は参詣道を挟んで、東側の小高い森になっている方が大嶽、西側の低い方が小嶽となっており、『琉球国由来記』(1713年)によれば、大嶽の神名は「玉ノミウデスデルカワノ御イベヅカサ」、小嶽は「天子」と記されています。王府時代、1・5・9月に国王が親ら訪れ、祭祀が行われました。また、沖縄戦で破壊消失した石門は、1519年に首里城歓会門前の園比屋武御嶽石門とともに築かれたといわれ、その構造や工法も似ていました。この石門は、1938(昭和13)年、国宝に指定されました。現在のコンクリートづくりの門は、1954(昭和29)年にハワイの「うるま一心会」からの寄付金を得て、首里鳥堀町民の奉仕によってつくられたものです。また、かつては石門の前に、拝殿と呼ばれる建物がありました。

首里城の園比屋武御嶽石門(下記ご参照)と同じ様式で造られたというなら、戦禍で破壊される前は、立派な石造りの門であったことが想像される。今は、園比屋武---と比べるのも気の毒なくらいの門である。民間の善意のご芳志で再建されて60年が経つ。那覇市は3億3,000万円も使って若狭緑地に龍柱を造るなら(那覇市は若狭など那覇西地域で、中国とのゆかりが深い歴史性を生かしたまちづくりを推進するとして、平成23年に福州市との友好都市締結30周年を迎えたこと、外国人観光客が乗る大型旅客船が那覇港へ寄港していることなどを挙げ、「那覇の新しい玄関口としての魅力を高めたい」と、2本の龍柱の建設を計画している)、この石門の本格的な復元ができないものか。

《ご参考》園比屋武御嶽石門 ⇒ コチラから

ゆいレール「首里駅」をスタート ゆいレールは浦添市まで延伸される予定 この建物の手前を右折
母子生活支援センターを右へ(通り過ぎて撮影) 弁ヶ岳公園北口 雑草の道で始まる
石畳の道が続く 車道に出る 石 門
由来の記された碑(クリックで大きな画面) 頂上から首里方面を望む 一等三角点
汀良交差点を南下すると、この看板で左折 西口道路の脇にある赤瓦のWC 公園の西口


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コース地図はゼンリンWebにより作成したもので、コースの赤線はイメージです。

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