涸沢

データ / Data

登山日 : 平成22年10月11日〜12日
上のPHOTOは、涸沢ヒュッテから涸沢小屋

涸沢の標高 : 2,308m

地形図 : 穂高岳、上高地

コース / Course time

第1日 上高地---徳沢(徳沢ロッジ泊)
第2日 徳沢---(45)---横尾---(60)---本谷橋---(75)---涸沢ヒュッテ---(60)---屏風のコル---(115)---新村橋---(75)---上高地

端数は5分、10分単位で切り上げ、休憩時間は含んでいない。

計画 /Planning

10月の三連休は、当初、立山・剱の雷鳥沢に泊まって奥大日、大日岳の予定であった。しかし、週間天気予報で、9日、10日は雨予報であったので、急遽、予備日の12日を使って11日〜12日の1泊2日で温泉に入れる山を検討した。

A案は木曾駒ヶ岳、B案は焼岳、C案が涸沢だったが、同行者が新聞で涸沢の紅葉の記事を見た。私は涸沢ヒュッテのHPを見て、10月8日現在、涸沢の紅葉が9分程度ということだったので、日本一の紅葉といわれる涸沢に行くことにした。実は秋の涸沢には行ったことがなかったので、前々から一度は行ってみたいと思っていた。涸沢は山ではなく、涸沢カールと呼ばれる圏谷(けんこく)だが、今の私では1泊で穂高のトップまで行く体力はない。

  早速、横尾山荘に宿泊予約を入れたら満室だった。前日までは予約可だったが、1日違いで予約できなかった。横尾山荘は、名前は山荘とついているのだが、私の中では山小屋ではなく旅館だと思っているので、予約なしの飛び込みは避けたかった。涸沢まで1時間だけ時間が掛るが、止むを得ず徳沢で宿を探した。そうしたら、どういう訳か徳沢ロッジで個室が空いていた。ラッキーだった。


第1日目は、平湯のアカンダナ駐車場からシャトルバスで上高地へ。同行者と明神の山のひだやで待ち合わせをしたり、途中からは河原を歩いたので道に戻れなくなり、新村橋まで行ってしまった。したがって時間は未計測。通常、河童橋から徳沢までは2時間とかからない。

徳沢ロッジは初めて泊まる。氷壁の宿として有名な徳澤園のようにメジャーではないが、樹林に囲まれた中にヒッソリと建っている。定員は90名。建物の大きさの割りに収容人数が少ないので、すし詰めにされることは無さそうだ。

個室はヤグラこたつ付きの8畳の和室だった。宿泊料は1名、10,190円。2段ベッドの相部屋との料金差は2,000円増。たった2畳だった白馬山荘の個室に比べユッタリと過ごせた。温泉ではないが、小さいながら風呂もある。お湯は白骨温泉のような白濁色をしているが、これは入浴剤を入れているから。入浴剤を入れる理由は、硬質の水を中和するためだとか・・・。

朝食は6時半からしか出来ないという。それでは出発が7時になってしまう。徳沢から横尾経由で涸沢まで行って、パノラマ新道で帰ってくるとコース時間上では10時間かかる。上高地到着が遅くなり、平湯行きのバスに乗り損ねかねないので、朝食パックにしてもらった。

まだ薄暗い5時50分、ロッジを出る。空気は冷たい。色とりどりの徳沢テン場の間を通り抜け、早足で横尾に向かう。同行者は歩くというより走るように飛び出して行ってしまった。あまり遅れてはいけないと、私も十数人を追い越し、45分で横尾に到着。山荘の前では、すでに大勢の登山者(圧倒的に中高年が多い。自分も含めてだが・・・)が出発の準備をしている。我々は横尾山荘で購入したクロワッサンと温かい缶コーヒーを飲みながら長丁場となるだろう今日の出発準備をした。

にぎわう河童橋 明神橋 山のひだや、後方に明神岳
静かな佇まいの徳沢ロッジ(By M) ロッジの夕食 横尾から前穂を見る

   (写真でBy Mとあるのは、同行のY.M氏撮影)


横尾大橋を渡り、ほぼ水平な道を快適に進む・・・という訳にはいかなかった。人が多いので、なかなか前には進めない。追い越そうにも道が狭い。強引に追い越しても前がつかえている。急に歩くスピードが落ちる。どうして渋滞しているのかと思ったら "人の迷惑顧みず"、狭いところで勝手気ままに休憩をする団体さんがいたり、道をふさいで立ち話をしている常識のない人もいる。あまりにもマナーが悪いので、この男性には言った「どちらかに寄ってください」。男性はスミマセンの一言もなく、背を向けたまま道を譲った。こんな人は、山に来て欲しくない。本谷橋まではイライラのし通しだった。

本谷橋は渡るとき、かなり揺れる。橋周辺の河原は休憩の人であふれている。ここでは落ち着いて休憩できないと岩道を登り始めると、もう涸沢から下りてくる団体さんがあった。道を譲ると、中ほどの女性がスリップして滑り落ちるところを、すぐ後ろの男性がザックを掴んで落下を防いだ。

本谷橋から涸沢まで高低差800メートルは、ほぼ登りばかり。と言っても急登はないので、歩くには楽だった。屏風岩をいつも左に見ながら歩く。地図を見ると新村橋から屏風岩を一周するように登山道がついている。この後も下りてくる人が多く、道を譲ったり、譲られたりしながら涸沢を目指す。周りの木々は、きれいに色づいており、登山者はさかんに写真を撮っているが、もっときれいな涸沢の紅葉が待っていると思うと、こんなところで写真を撮る時間がもったいないと道を急いだ。

横尾大橋 本谷橋 奥穂が見えてくる

 
直進すると涸沢ヒュッテ、右は涸沢小屋への道の分岐に出る。このあたりも鮮やかな紅葉である。やや左カーブのゆるやかな道が目の前に広がり、ついつい脚が早まる。本格的に写真を撮ろうと思ったら、何と!、バッテリー切れ。デジカメにはエネループが入っていると思っていたのだが、普通のアルカリ単三だった。予備の電池は、すべて単四だったので交換が出来ない。涸沢ヒュッテへの石畳の道は、素晴らしい紅葉だったのだが撮影できなかった。ここからは高度が増すにつれ、青葉、黄葉や褐葉が、鮮やかに紅葉に変わってゆく。


涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐



涸沢ヒュッテの屋上バルコニーと涸沢カール(Y.M氏撮影)


燃えるような紅葉に囲まれた涸沢ヒュッテの屋根上バルコニーで、錦秋の美しさを満喫しつつ、カールのパノラマを楽しみながら早めの昼食を摂る。昼食後、ヒュッテの売店で電池を購入し(単三2本で400円)、しばし撮影に熱中する。




中央の尖った三角が涸沢槍、左が涸沢岳、白出のコルから奥穂へと続く、右の頂は北穂。


撮影タイムを終え、上高地へは、来た道を戻るか、パノラマ新道で帰るか同行者と相談した。横尾から涸沢までコース時間3時間のところ、休憩時間を含めても2時間半で到着した。パノラマ新道で徳沢までのコース時間が4時間なら3時間半で着けるだろう。徳沢からバスターミナルまで1時間半で歩けば、15時半の平湯行きにギリギリ間に合うだろうと計算し、また、混雑する道を歩きたくなかったこともあり、パノラマ新道で帰ることにした。実際には新村橋から上高地まで早足したので、15時のバスに間に合った。涸沢で、もっとゆっくりしてもよかった。

涸沢ヒュッテの石段を下りる。横尾との分岐には「危険箇所が多いので健脚者のみ通行してください」という表示がある。どこかのサイトで読んだ話だが、自分が健脚者かどうか判らない人から尋ねられると、ヒュッテのスタッフはこう言うそうだ。「ここへは、どこから来ましたか?。奥穂から下りて来たのですか。それならパノラマコースで大丈夫ですよ。エッ、横尾からですか?。来た道を帰ってください」

しばらくは水平道が続く。紅葉の中に涸沢ヒュッテや涸沢小屋が見え、涸沢カール全体が俯瞰できるので、絶好の撮影ポイントのようだ。ヒュッテの屋上バルコニーで隣り合わせになったプロカメラマンらしき人も、ここで大きなカメラを構えてシャッターチャンスを待っていた。絵のような景観だ。おそらく秋の涸沢に来ることは、もうないかもしれないと、名残を惜しみながら何度も振り返りつつ道を進んだ。


涸沢ヒュッテから
パノラマ新道より涸沢ヒュッテとテン場 3Dでお見せできないのが残念!



道は前穂北尾根の支稜をいくつか乗り越すようについている。このため、屏風のコルまでは険路が続く。アップダウンが多く、岩場のへつりもある。補助ロープが何箇所も張られており、垂直に近い はしごを下りるところもある。最初のロープで、片手に三脚を持ってトラバースしようとしている3人組が苦労していたが、片手しか使えなくては大変だろう・・・。たわんだロープもあり、落ちたら止まらないような断崖もあるが、健脚者しか行ってはいけない・・・、と言うほどではないように思った。ただし、積雪時や雪渓が残っている時期には通りたくないところだ。もちろん雨天のときも通りたくない。


東方向には常念、蝶ヶ岳 分岐の標識 パノラマ新道が始まる
ザレたロープ場を下る 雲に隠れる寸前の槍 はしご場を下りる同行者





パノラマ新道から(Y.M氏撮影)



パノラマ新道から奥穂


屏風の耳が近づいてくると、梓川が眼下に光っている。小さなコブを乗り越すと、次のコブを大きく登って下る。下ったところが北尾根最低鞍部で、屏風のコルと呼ばれている。涸沢ヒュッテからここまで1.4キロを1時間かけて歩いてきた。新村橋まで、まだ4キロある。

屏風のコルには、10人ほどが休憩していた。時間があれば屏風の耳や頭(あたま)まで行って、槍から穂高まで、北アの大パノラマを楽しみたかったが、バスの時間とも勝負しているので、休憩もせず通過する。頭まで往復すると2時間が必要。パノラマ新道も紅葉が素晴らしいとガイドブックに出ていたが、涸沢の紅葉を見た後では、イマイチ物足りないように思った。

屏風のコルからは時折、梓川を見ながら、ジグザグの道を急降下する。これから新村橋までの高低差700メートルを下る。小さな尾根を乗り越し、ダケカンバの林に入り、山腹の巻き道を下ると針葉樹林帯となる。岩だらけの沢のような登山道を下りるが、雨が降ったら沢下りだなぁ。再び、ダケカンバの林を抜け大きな岩がゴロゴロの広い河原は奥又白谷だ。この辺りの紅葉は、もう終わってしまったのか、これからなのか、よく分からない。

梓川は、すぐ目の前に見えるのに、なかなか近づかない。歩きにくい河原の岩を、足元を確かめながら飛んで飛んで、ひたすら下る。振り返ると下りてきた奥又白谷が見える。パノラマ新道で数人とすれ違ったが、このコースを登りで涸沢まで歩くと、相当、長丁場になりそうだ。「ナイロンザイル事件の碑」を左に見てしばらくすると、堰堤が現れた。河童橋から上流で、間近に堰堤を見たのは初めてだ。

(ご参考)ナイロンザイル事件・・・昭和30年1月2日、厳冬の前穂岳東壁の岩場で新品の8mmナイロンザイルが簡単に切れて3人パーティの1名が墜死した。井上靖の小説「氷壁」のモデルになった事件

新村橋が左に現れるが、橋は渡らず直進し、梓川右岸を歩く。混雑する左岸を歩きたくなかったからである。今回、上高地〜新村橋間を右岸を歩いたり、左岸を歩いたりしたが、右岸は車が通るので轍(わだち)で荒れており、雨上がりは大きな水溜りが出来る。乾いたところは土ぼこりを舞い上げる。バラスが撒いてある所では足を取られる。結論としては左岸の方が歩きやすい。次回からは、右岸は歩かないことにする。

明神からは、右岸を歩くと遠回りになるので、橋を渡って左岸を歩く。登山者、観光客に混ざって上高地バスターミナルまでの道を急いだ。平湯に着いたら、どこの温泉に入ろうかと考えながら・・・。


屏風の耳(By M) 屏風のコルを見下ろす コルの標識
パノラマ新道の紅葉 眼下に梓川が見える(By M) 奥又白谷
ナイロンザイル事件の碑 新村橋(By M) 平湯温泉「神の湯」(By M)


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