ハイホーの山日記

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☆ データ / Data

登山日 : 平成24年5月27日
山 名 : 湧谷山/丁子山(左のPHOTOは、広瀬集落から丁子山。湧谷山は、その後方なので見えない)
読 み : わくたにやま(わきたにやま)/ちょうじやま
標 高 : 1,079.7m/1,011m
地形図 : 美濃広瀬

☆ 登山口へのアクセス / Access

揖斐川町からR303を北進し、横山ダムの奥いび湖大橋を渡る。この橋は平成23年6月完成の斜張橋。塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造なので吊橋の一種。とても美しい橋である。道の駅「夜叉ヶ池の里さかうち」を過ぎて「遊らんど」の看板を右折し、すでに閉鎖されているが、遊らんど坂内スキー場の駐車場へ。
ナビ検索は、岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬1840で。

☆ コース / Course

P---(15)---登山口---(80)---丁子山---(20)---湧谷山---(15)---丁子山---(50)---登山口---(10)---P

  ☆ 記 録/Report

この山は、岐阜百山にはカウントされていないが、「続・名古屋からの山旅」(西山秀夫偏)には掲載されており、私も名前だけは知っていた。この本が出版された平成7年当時は、道らしき道もなく、ヤブ漕ぎは本物のヤブ漕ぎで、いきなり孟宗竹が行く手をはばみ、とても歩けたものではない、と紹介されている。秘境のまま残したい山とも記され、その頃、登るのは主に残雪期だったようだ。
その後、旧坂内村が2年間かかって今は閉鎖となっているスキー場から道をつけ、無雪期でも登れるようになったので出かけてみた。山名のいわれは、三角点の場所が、俗称のワキ谷にあったからと云われ、姥溺(おぼら)山の別名もあるそうだ(同書からの抜粋)。


「遊らんど坂内スキー場」は平成21年に閉鎖となった。三角形を2つ繋ぎ合わせたような建物やリフトの支柱は、まだ残っており、駐車場には、錆びついた重機が2台取り残されている。この広い駐車場とゲレンデの間にも数台置ける駐車スペースがある。


登山口はリフトの終点の左にあるので、ゲレンデを直登する。雑草だらけのゲレンデだが、よく見ると人の歩いた跡があるので、その跡を辿る。なお、広い駐車場の北の端に「丁子山・湧谷山登山案内」という金属製の案内板がある。この絵地図を見ると、ゲレンデの南端に沿って道があるように描かれているが、そんな道はない。おそらくスキー場営業をしているとき、ゲレンデの真ん中を歩いてはいけませんよ、という意味だろう。終点のフラットになった所を左に進むと、登山口に着く。標識は何もないが、木々の中の穴が開いたような場所なので、すぐ分かると思う。薄暗く狭い道を進む。右側に水の流れていない深い掘割があり、雰囲気としては、いかにもヒルが出そうだが、この日は、幸い一匹も見なかった。


登山口から歩きはじめて30分くらいは倒木が数ヶ所ある。乗り越えられないところには、皆んなが歩いたので道になった迂回路がある。幹周りが1メートル以上ありそうな倒木は、どうやって越えようかと思ったが、ここは倒木に沿って道があった。そこから更に丁子山直下のブナ林まで、延々と、およそ1時間、九十九折れの道が続く。道は九十九折れだが、結構、急登である。ストックで支えながら体を前傾にしないとズリ落ちてしまいそうな急登箇所もある。木々が太陽の日差しを遮ってくれるが、登山道としての手入れは全くなされていない。木の枝は伸びるがままで登山道を覆い、落枝は足やストックに纏わりつく。道の駅で、この山を、登山ができる山として紹介しているのだから、もう少し管理していただけないだろうか。そうすれば、この山に登った人は、いい印象を持って山を後にすることができるだろう。


急登が終る頃、クマザサのヤブに突入する。距離は短いが、なかなか前に進めない。この日は陽射しが強そうだったので登山帽ではなく菅笠で出掛けた。手やストックでかき分けられないところは、頭から突入した。菅笠だと多少でも顔への跳ね返りが防げる。辺りが明るくなると、一面のブナ林に出る。秋に来ると見事だろう。この山は、麓はスギの林から始まり、潅木の林に入り、ブナ林となる。ブナの根元はクマザサが密生している。潅木の種類は多く、イロハモミジにトウカエデ、シロモジ、タニウツギ、ホオノキ、ユズリハ、ヤマブキ、シャクナゲ、コアジサイ・・・と豊富。急登の途中や、狭い登山道では休憩できないので、ここまで1時間半近く無休憩で来た。本当は休憩したかったのだが、平坦な場所がなかった。



奥いび湖大橋 ゲレンデ スキー場建物
奥いび湖大橋(帰路、撮影) ゲレンデ 旧スキー場ロッジ
登山口 登山道 タニウツギ
登山道入口 こんな道で始まる タニウツギ
倒木 ヤブ ブナ林
ここは倒木に沿って右に道がある ヤブは頭から突入 美しいブナ林


勾配が緩やかになると、やがて丁子山に着く。山名プレートがなければ、ただの通過点で、木々に囲まれ展望は全くない。この山は、頂上に限らず、途中の登山道からも展望はほとんどなかった。冬枯れの季節でないと展望は得られないようだ。丁子山からは、90度右に折れ、進路を北に変えて下る。初めはわかりやすい道だったが、背丈ほどあるクマザサの中に入ると、道が分かりにくくなる。鞍部を過ぎ登りにかかると、ふたたびヤブ漕ぎが始まる。道が分かりにくくなったら周りを見渡すとピンクリボンがあるので、その方向に向かう。正面に湧谷山の山頂があるはずなのだが、ブナとササに遮られ、見ることができない。密生したヤブが行く手を遮るが、強引に突き進み頂上に着く。この頂上は行き止まりで、これ以上先へは進めない。奥行きも幅もなく、狭い!三角点は土に埋もれ、かろうじて三等の文字だけが見える。ササの奥にある山名板には手が届かないので、積雪時に付けられたものだろう。


木々とササに囲まれ、展望はほとんどない。座ると擂り鉢の中にいるような圧迫感がある。こんなに狭いところで昼食をしていたら、後続の人が来ても体を動かすことも出来ないので、丁子山まで戻って食事をした。今回も1時間30分の大宴会となった。その間、3組4人が到着した。一人は、ここで引き返そうとしたので、あわてて呼び戻し、頂上はまだ先であることを教えた。彼は地図も持ってこなかったのだろうか?。


この山の頂上で、見たくもない光景を目にしてしまった。それは、下のPHOTOにある落書きである。それも 先の尖ったもので木に深くキズをつけた跡である。年号が記されている一番古いものは、平成14年とある。山に登る人は、ナイフはたいてい持参している。もちろん他の用途があるからだが、連鎖反応なのか、ここには、落書きされた木が4本もあった。はっきり名前が読み取れるので、アップでの掲載は控えた。もう何年前だろうか。イタリアの世界遺産の大聖堂の壁に落書きをした短大生グループがいた。この学生達は落書きをした理由を、気分が高揚したからだと言っていたと記憶しているが、この山に登って落書きをした人は、どんな理由だったのだろうか。おそらく今まで300山くらいは登ったと思うが、これだけ際立っているのを見たのは、初めてである。



丁子山頂上 丁子山 落書き 
丁子山頂上 落書き
湧谷山 頂上 三角点
3 枚 と も 湧 谷 山 頂 上


この山は、道標は全くないが、1本道なので迷うような所はないと思う。ただ、丁子山と湧谷山の間のヤブは、今後、歩く人が少ないと消えてしまうかもしれない。今はピンクリボンがあるので、それに従えば心配は要らないが。なお、資料には、広瀬神社から登って、今日歩いた登山道と丁子山の手前で合流する道とか、湧谷山と丁子山の途中からスキー場の北の林道に出る道があるようだが、私は途中の分岐には気が付かなかった。いづれにしても、登山口から丁子山までは九十九折れの単調な道が続くので、変化には乏しい。また、グリーンシーズンには展望は期待できない。紅葉を楽しみたいなら秋。落葉樹がイッパイあった。展望を期待するなら積雪期。地図を見ると知名度の高い山々に取り囲まれている。頂上には高い木が少なかったので、360度の眺望が楽しめそうだ。



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コース地図は国土地理院の電子国土Webにより作成したもので、コースの赤線はイメージです。


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◎お願い
山の状況は絶えず変化します。登山道の崩落、がけ崩れ、橋の流失などによる通行止めは、集中豪雨や台風が来るたびに起こります。また新道ができたり、廃道になったり、時には登山道の付け替えなどもあります。登られる方は最新の情報を入手してください。
また、この日記は、登った日、当時の個人的な記録です。ヤマケイのガイドブックのように、必要な情報を網羅してはおりません。リスクは自己責任でお願いします。