登山日 : 平成23年3月19日(上の写真 --- 一番手前が大堰川にかかる渡月橋)
山 名 : 松尾山/嵐山/烏ヶ岳/山上ヶ峰
読 み : まつおやま/あらしやま/からすがたけ/さんじょうがみね
標 高 : 275m/382m/398m/482m
地形図 : 京都西北部(京都及大阪)
京都の嵐山に登ってきた。「嵐山」といえば、嵯峨野散策の起点であり、渡月橋を中心とした風光明媚な観光地と言うイメージしか持っていなかった。これまで、この辺りには何度も足を運んだ。最初は小学校の修学旅行に始まり、高三のときは一人で北嵯峨から嵐山まで歩いて旅した。学生時代を京都で過ごしたこともあり、そのときも、たびたび訪れていた。社会人になってからも、マイカーで度々行ったが、嵐山は「山」という文字が含まれていても、単なる地名であり、登る山とは思っていなかった。
3月の20〜22日の3連休は、泊りで京都に行く予定を立てた。当初は大原五山を2日で歩こうと思っていたのだが、週間天気予報で20、21両日の降水確率が60%以上となってしまった。そこで、山は1日にして、もう1日は雨の京都の街を歩く観光に切り替えた。登る山は大原ではなく、鷹ヶ峯の更に奥にある十三石山にした。京都の山は、スギが多く植えられていて、眺望が良くない山が多い。しかし、この山は登山道からも頂上からの展望が良いらしい。途中、車道歩きもあるが、途中には茶屋があり、とろろ蕎麦がおいしいとある。登山道に茶屋がある と云うのは、登山としては邪道かもしれないが、名前が京見峠茶屋というのだから、いかにも京都らしい。
そんなとき「山渓」の4月号を見ることになる。実にいいタイミングで、京都の山「嵐山」が紹介されていたのだ。なぜか中級者向けコースとある「エッツ、中級?」。低山だから安全と云うことはないが、400メートルほどの山なのに・・・」。さて、そのわけは・・・?。これは行ってみるしかないと、コース変更した。
早速、コース図を国土地理院の地形図に落とし、ネットで情報を集めた。松尾山までは、京都一周トレイルコースなので道標があるが、嵐山以西、保津峡までは道標の類がないらしい。保津峡へは、危険な急斜面を滑るように下るともある。また下山後、知ったことだが、平成19年4月には、姫路市の54歳から75歳までの男女9名が、山上ヶ峰から道に迷い、高さ数十メートルの急なガケで立ち往生し遭難している。西京署と西京消防署員ら70名が捜索にあたり、幸い全員が救出された。
JR嵯峨嵐山駅---(30)---登山口---(35)---松尾山---(15)---嵐山城跡---(5)---嵐山---(10)---烏ヶ岳---(15)---鞍部---(50)---山上ヶ峰---(15)---正しい山上ヶ峰の入口---(30)---トロッコ保津峡駅---(20)---JR保津峡駅
端数は5分、10分単位で切り上げ、休憩時間は含んでいない。
JR嵯峨嵐山駅を真っ直ぐ南に向かう。川に出る。この川は、大堰川(おおいがわ)とも桂川とも云われている。この上流が保津川である。川に出たら右折する。かの有名な渡月橋が見える。あと2週間もしないうちに、この辺りは桜で埋め尽くされるだろう。この日は3連休の初日ということもあり、人が多い。渡月橋、渡月小橋を渡ったら左折する。狭い道なのでバスが来ると道を譲らないといけない。しばらく進むと左にやや広い道がある。そこは左折せず直進するが、右側を注意していると、京都の山ではおなじみの「京都一周トレイル・西山26」の標識がある。途中までは、苔寺へ抜けるハイキングコースにもなっている。その小路を入って行く。そのまま進むと京都らしい竹林となる。
この標識を見落とさないように | こんな小路に入る | 京都らしい竹やぶの道 |
先行していた男女ペアに追いついた。「どこまで?」と声をかけたら、「保津峡駅まで行く」と言う。「山渓の4月号を見たの?」と聞いたら、「それもあります」と答えがあった。
このあと松尾山までは分岐が続くが、下の写真のようなトレイル道標があるので、迷うことなく西山32に到着。32ではどちらを行っても松尾山へ行けるようだが、道標に右道のほうが景色がいいと書いてあったので右道を行った。松尾山の地図を見て分かったことだが、右道を行くと嵐山へ行くには、少しの区間、同じ道を戻ることになる。
途中、岩田山への分岐があったが経由せず直進した。この山の中腹には嵐山モンキーパークがあって、150頭の猿が暮らしているそうだ。創立が昭和32年というが、嵐山モンキーパークの存在自体を全く知らなかった。たまたま、翌日の朝日新聞の朝刊を見たら、猿の花粉症が日本で最初に発見されたのが、この岩田山と紹介されていた。京都といえば北山杉だから、スギ花粉は多いだろうなァ。
松尾山までは、各分岐道に京都一周トレイルの標識があるので従う。 |
ここから先には、赤テープはあったが、トレイルのような道標はない。頂上には手書きの山名板はあったが、分岐には嵐山と烏ヶ岳に小さなプレートがあるのみ。それもサインペンで手書きしてあるので字が薄くて目立たない。うっかりしていると見逃してしまうのでご注意を。
嵐山へは分岐を右折する。この分岐は分かりやすい。すぐ市内北部を一望できる展望の良い所に出る。そこでは同年代と思われるご夫妻が食事中であった。奥さんがお話好きのようで、「どこから?」と声をかけられたので、「岐阜から」と答えると、先々週、養老山に登ってきたばかりということで話が盛り上がってしまった。
このご夫妻は「京都市在住だが、嵐山を登山するのは初めて。苔寺に車を置いてきたので、烏ヶ岳まで行ったら引き返す。あの山が比叡山で、その右に大文字さんがあるんやけど、ここからは見えてしません。正面の雪をかぶった山が蓬莱山で・・・そうそう比良山系の、ようご存知やねぇ。その左が・・・、えっ、武奈ヶ岳は登らはったことがおありやてェ、ぃや〜かなわんわ〜、ウチらより詳しいやないのォ〜・・・(お話は続く)」。
失礼するタイミングを逸したので、15分も長居してしまった。同行者は「あの奥さん、うどんを作っている最中だったが、のびちゃったろうな」と心配をしていた。
嵐山に お城があったとは知らなかった。調べてみると
嵐山城=明応6年(1497)に香西元長によって築かれた。香西元長は山城国下5郡の守護代を務めていたが、永正4年に元長没落と共に炎上して廃城となった。
その後、細川晴元が天文8年、10年、15年に在城したとの記録もあり、細川氏が嵐山城をしばしば利用していたと考えられている。 堀切や土塁、土止めの石積み等の遺構があり、特に、南端の曲輪下に設けられた7本の畝状竪堀群と堀切など見応えのある遺構であった。 なお、嵐山城は、山頂部に主郭を置き、南北に延びる尾根筋を削平して曲輪を連郭式配置した縄張りとなっている。(HP近畿の城より) |
嵐山の頂上は、市内を展望地から5分で到着。雑木に囲まれ展望はよくない。
分岐のプレート | この辺り一帯が嵐山城跡 |
嵐 山 頂 上 |
嵐山を下って山腹道と合流すると、烏ヶ岳までは尾根道を歩く。烏ヶ岳への分岐も注意して左を見ていないと通過しそうだ。左手に女性用の名刺サイズくらいの小さなプラスチック板に「烏ヶ岳」の文字がある。これに従い登って行くと、潅木に囲まれ展望のない頂上に出る。
下山道は2本あったが、片方には太い丸太で「通せんぼ」されていたので、もう一方から下ったが、せっかく登ったのにと思うぐらい下る。それもかなり荒れており、道を塞ぐように倒木が折り重なっている箇所もある。分かりにくいところもあるが、赤テープもあり不安はない。蛇行しながらどんどん下ると広い道に突き当たる。ここが鞍部のようだ。地図を確認する。左へ行くと松尾谷林道に出てしまうので右折する。
烏ヶ岳の頂上 | |
こんな所も下るが、この道で正解 | 鞍部を右折すると、こんな広い道 |
鞍部を右折して広い道を登り返すとネットに囲まれたところに出る。入口には「開けたら必ずロープで結び閉めて下さい 山主」の黄色の看板がぶら下がっている。ネットの中はスギの苗木が植えられている。鹿の食害を防ぐためにネットが張られている。出口にも同じ看板があり、出た後、ロープをしっかり結んでおいた。ネットを出るとT字路がある。地図にはない道だ。
ここで男性が一人、北方向から現れた。「スミマセーン」と言うので、私の同行者が話を聞いた。道を見失って引き返してきたという。改めて地図と磁石で現在地を確認する。保津峡駅へ行くには北に行かなければならない。地図にないT字路を南に行くはずがないので、もう一度、北方向に戻るようアドバイス。我々はここで1時間20分のランチタイムを取ったが、その間、男性は戻ってこなかったので、道が正しかったことを知る。
このネットの隙間から入ってから結び直す | この植林地帯を登って行く |
尾根道を進んでゆくと、木の幹に黄色のペンキが塗られ、左向きの矢印があった。何の疑問に思うことなく山上ヶ峰への道だと思った。同行者は、ここで待っていると言うので、私一人で行くことにした。右山でネット沿いに進むと、左下に林道が見えた。。地図を見ると山上ヶ峰の西にある林道のようだ。この山に登るには登山口から西方向に進むのが正しい道のようなので、この道は違うようだ。しかし、山上ヶ峰の山腹を歩いているのは間違いない。少し戻ってネットの隙間から踏み跡らしきものを見つけたので、東北に向かって頂上を目指した。踏み跡を忠実に辿ると、10分もかからず頂上に到着。周りの木々は伐採されているが展望はよくない。三等三角点が淋しく建っていた。
この山の難易ランクが中級と云うのは、烏ヶ岳から西には、道標が無く、地図にもない道が現れたりするので、ルートファウンディング能力が必要ということなのだろう。
この矢印で左へ行ってはいけない | このネットの隙間から直登すると頂上があった |
小さな山名板 | 山上ヶ峰の三等三角点 |
同じ道を下り、山腹道に戻る。20分ほどで頂上まで往復をした。ここから数分で木に黄色のペイントが塗られた広場に出る。左に道がある。ここが正しい登山口である(コース地図で赤丸で示した場所が、山上ヶ峰への登山口)。私は、すでに頂上に行ったので、同行者に行ってもらった。往復10分で帰ってきた。
あとは保津峡に向けて下るだけ。15分ほどで林道終点と合流。愛宕山を見て、九十九折れの道を急降下する。
山上ヶ岳への正しい登山口 | 松尾谷林道に合流する | 保津峡駅に向けて下る道 |
どんどん下って行くと川が見え、保津峡トロッコの線路に出る(山渓の解説には「トロッコの線路に入ってはいけない。線路際に出たら5メートル先の線路下をくぐること」の注意書きがある)。鉄橋をくぐり左方向を見ると階段があるので左折する。(鉄橋に「右へ」の矢印が書かれているが、保津峡駅へは左折する)階段を登ると駅に出る。右折して橋を渡ると車道に出るので左折。道なりに進むとJR山陰線の保津峡駅が左に見えてくる。
トロッコ列車の鉄橋をくぐる(M氏撮影) | トロッコ駅への階段 |
トロッコ列車を見送る | JR保津峡駅(無人駅) |
コース地図へ |
このコース地図は国土地理院の電子国土Webにより作成したもので、コースの赤線はイメージです。
なお、2日目は、「鈴虫寺」と鷹ヶ峰の「しょうざん庭園」を見てきたので、別ページに写真をUPした。
◎お願い
山の状況は絶えず変化します。登山道の崩落、がけ崩れ、橋の流失などによる通行止めは、集中豪雨や台風が来るたびに起こります。また新道ができたり、廃道になったり、時には登山道の付け替えなどもあります。登られる方は最新の情報を入手してください。
また、私の日記は、登った日、当時の個人的な記録です。山渓のガイドブックのように、必要な情報を網羅してはおりません。リスクは自己責任でお願いします。