ハイホーの山日記 |
び ざん | |
眉 山 | |
231m |
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(H22/1/31)
学生の村・眉山駐車場---(10)---岩崎1号墳---(15)---林道出合---(15)---頂上---(20)---駐車場
◎登山口へのアクセス
・岐阜の市街地から高富街道を北上し、岩崎1の交差点で、真ん中の車線(高富バイパス=国道256号線)に入る。
・岩崎山手の交差点を左折する。
・DoCoMoの看板で右折する。
・坂を登ると鎖で通行止めになっているが、左に学生の村眉山の駐車場がある。
この日は昼から雨の予報だったため、午前中で往復できる眉山に登った。Wikipediaによれば、全国に眉山は五山あり、岐阜と徳島は「びざん」と読み、長崎、佐賀、香川は「まゆやま」と読むという。また、岐阜の眉山の由来は、江戸後期の学者、頼山陽が美濃の門人を訪ね、帰路、西粟野の庄屋河野家に立ち寄った時に眉を引いたように優美な山容に感じて名付けたと言われている。南側から見ても「まゆ」には見えなかったので、北側にある八幡洞団地まで行ったら「まゆ」に見えた。
学生の村・眉山は、今は利用されていないようで、この駐車場に車を止めさせていただいた。付近は住宅街なので、このほかに車を止める場所は見当たらない。車止めの鎖を乗り越えると自動車道を利用して頂上に行けるが、それでは味気ないので、登山道を行くことにした。
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北側から見ると眉(まゆ)に見える(如来ヶ岳より) | 駐車場へは、この看板で右折 | 学生の村 眉山の駐車場 |
車で来た道を、歩いて戻る。白山神社の前を通り、「岩崎山手」の交差点まで行く。交差点の北西角に民家があり、その家の右のブロック塀に沿って狭い通路がある。標識は何もない。おそらく通路右のポールには、鉄塔の巡視路を示す黄色のプラスチック板が、以前はあったと思われるが、割れてしまったのだろう。
この道を入ると竹やぶとなり、Yの字分岐に石灯籠が立っている。登山道は右へ行くが、左は岩崎1号墳への道。どんなところなのか見に行ってきた。岐阜市指定の史跡で横穴式の古墳であった。案内板には頂上にある鎧塚古墳より後世に出来たとある。また、昔は1〜6号まであったが、今残っているのは一号だけという。
再び、石灯籠まで戻り登山道を登る。竹やぶが雑木林となり、途中の祠を過ぎると鉄塔が立っている。鉄塔を回り込むと二俣があるが、右に行く。しばらく行くと自動車道と出合う。出たところには、幌をかぶった二輪車と車の荷台が放置されている。この山には、NTT、DoCoMo、テレビ放送、防災無線の電波塔が立っており、その保守のための自動車道路で、一般車は入ることが出来ない。
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白山神社を左に見て | ここが登山口 | Yの字分岐の石灯籠 |
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ここでUターンする | 途中にある祠 | 自動車道との出合 |
自動車道は道幅が広く、普通車のすれ違いはもちろん、大型車でもすれ違えるほど広い箇所もある。写真は地道だが、大きくカーブするところや傾斜の強いところはコンクリート舗装されている。自動車道の終点には、ひときわ大きなDoCoMoの電波等があり、その左に金網の扉がある。頂上は、この扉を押して入る。
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車がすれ違えるほど広い | 自動車道はココで終点 | 頂上へはココから |
グルッと回り込むと頂上である。三角点と祠がある。木々に囲まれているため、展望はない。頂上は鎧塚古墳という前方後円墳の後円部分にある。扉の横には案内板もある。説明によれば麓の岩崎1号墳と同様、岐阜市指定の史跡で、掘ったとき鎧が出てきたが埋め戻したと書かれてある。
帰路は登山道を戻らず、所要時間を計るため自動車道だけを下る。途中、街が霞んでおり、その向こうに冠雪した養老の山並みが見えた。金華山、百々ヶ峰は、明瞭に見えた。
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頂上の三角点 | 霞の向こうは養老の山並み | 金華山 |