データ / Data

登山日 : 平成15年9月27日〜28日(上のPhotoは蝶ヶ岳頂上からのご来光
読 み : ちょうがたけ
標 高 : 2,677m
地形図 : 上高地、穂高岳

コース / Course

9/27 上高地---(90)---徳沢---(70)---中大広場---(130)---長塀山---(35)--- 蝶ヶ岳ヒュッテ(小屋泊)

9/28 ヒュッテ---(30)---蝶ヶ岳三角点---(5)---蝶槍---(20)---蝶・横尾分岐---(120)---槍見台---(40) ---横尾---(140)---上高地

端数は5分、10分単位で切り上げ、休憩時間は含んでいない。

記録 / Report

9/27
前日に高山市内で宿泊し、朝一番の上高地行きのバスに乗車。釜トンネルを抜けると、焼岳が青空にはっきりとした輪郭を見せ、噴煙は僅かだが、北ア唯一の活火山だという存在感を示している。穂高の山並みには雲ひとつなく、明神、前穂、吊尾根、奥穂、西穂が威風堂々とした姿を現した。岳沢には、9月末だが、未だ雪渓を残している。

上高地のターミナルでは、帰路の整理券をゲット。翌日の15時発高山行きの1番だった。また、ターミナルの公衆トイレが綺麗になった。入ると銭湯の番台みたいなカウンターがあり、料金を払う。右が男、左が女性用。昭和40年代には無料だったが、直下式のクサイ、キタナイ、落書きだらけ、おまけに狭かったが、思わず、[へェ〜、きれいになったなア〜]と、ひとりごとを言ってしまった。


重いザックを担ぎなおして出発。河童橋を左に見て、まずは45分で明神へ。そしてノンストップで徳沢へ。昼食後、徳沢ロッジの建物の脇を抜けて長塀山を目指す。木の根の広がる斜面を赤ペンキと赤布で道筋を確認しながら登りつづける。中大広場までは急登が続く。この広場は標高 2,000メートル。展望のほとんど無い登山道は単調だが、掘割りだったり、樹林帯であったり、広場があったり、つづら折りの急登だったりで、結構、面白みがある。

道筋が東から北にと方向を変えはじめたが、なかなか山頂に近づかない。長塀尾根というだけあって長い尾根が延々と続く。同じ行き先の人も居らず、すれ違う人もいない。静寂を味わいながら高度を上げる。もう2,500 メートル近くのはずなのにまだ樹林帯だ。長塀山は2,565メートル。森林限界を越えつつあるのだから、木がまばらになってもイイはずなのだが・・・。


歩きにくい木の根の自然階段 長塀山頂上



15時45分。本当ならヒュッテに着いていてもイイ頃だ。徳沢から3時間20分かかって、やっと長塀山頂上に着いた。通過証拠写真を撮って、すぐ出発。ガスも出てきた。この分では、小屋入りが16時半を過ぎてしまいそう。急がなくてはとピッチをあげる。ここからヒュッテまでは登ったり、下ったりを何度も繰り返す。だんだん視界も悪くなり、5メートル先も見えなくなる。辺りは、すっかり夕方の気配だ。好天なら木々の間から穂高が見えるはずなんだが〜と思いながら、とにかく急いだ。蝶に来た人は必ず訪れるという「妖精の池」も無視して急ぐ。

這い松の中を登ると、やっとピークらしき所に着く。その頃には周りは薄暗く、視界は2〜3メートル。ふと、ひらけた右側を見るとカラフルなテントらしき物が見えた。道をはずれ近づく。間違いなくテントだ。外には人は誰も居ない。テン場の脇を通り、アンテナらしきものに近づく。よく見ると風向計のようだ。「あった!」赤い屋根だ。蝶ヶ岳ヒュッテだった。テントを見落としたら、ヒュッテを通過するところだった。小屋に入った途端、湿気で眼鏡が曇る。ニコニコした若い男の子が迎えてくれた。


宿泊者番号158番。夕食は18時半からの指定時間。朝食は5時半から早い者順などの注意を聞き、2階の部屋へ。変形8畳ほどに16人の雑魚寝。ヒュッテの定員250名に158番だから余裕かと思ったら一人0.5畳だ。南半分はオバサンのグループ。我々は人目も気にせず、汗ばんだシャツと下着を着替える。残念ながらパンツの着替えだけは遠慮した。1階のテレビの前の談話用テーブルは、いつも満員。やっと自炊客用テーブルの空き席を見つけて座ることができた。しかし、場所がトイレの前なので、始終ニオウ。自販機で缶ビールを買う。500ミリリットルが700円。ツマミは持参のケンサキとオカキ。食事時間まで、あと1時間余り。ゆっくりと味わって飲む。


宿泊番号120番以降のアナウンスがあり、やっと夕食にありつく。他の2グループと同テーブル。そのなかで女性グループの一人が何度も「おてんしょう、おてんしょう」と言っているのが、聞くともなしに耳に入った。はじめは「おてんしょう」って何だろうかと思ったが、おてんしょうから常念へという話の脈絡から推測すると、大天井岳のことを言っているらしい。へエ〜、最近は、そんなしゃれた呼び方をするのかと思った。自宅に帰ってから信濃毎日新聞のHPをみたら、山頂が松本城の天守閣に似ているので、「おおてんじょう」が「おてんしょう」に訛ったと出ていた。しかし、山頂のヒュッテは「おおてんじょうヒュッテ」と言うし、もう一つの小屋の大天荘は「だいてんそう」と言う。そういえば、学生時代、関西では大天井のことを「ダイテン」と呼んでいた。ひとつの山で3つも呼び名があるとは、何とゼイタクな山だろう。

9/28

深夜に外から「マァーきれい」の声。ひょっとして星でも見えるのかなと思ったが、前夜のガスの状態では、雨は降らなくても、まさか晴れることはないだろう。しばらくすると「流れ星だ〜」の声。そうか!ガスが晴れたようだ。早速、部屋を出る。廊下は真っ暗だが、大体の見当をつけ、階段の窓を開ける。『見えた!』満天の星だ。星が大きい。潤んでいる。外に出て眺める。時間は深夜3時すぎ。寒さも忘れ見入る。声も出ない。と言っても一人だから話す相手もいないが・・・。

35年前、平湯峠から見た空には、もっと、たくさんの星があったように思うが、こちらは、そのときに比べ星の一つひとつが、うんと大きく見える。ひときわ大きな星が3つ並んでいる。ベガとアルタイルか、もう一つは何だろう。天の川にも無数の星も流れている。オリオンもカシオペヤも、どこかで輝いているのだろうが、私は星には詳しくないし、それに多すぎてわからない。今回の山行きの目標のひとつを達成。あとの目標は槍・穂高の展望と御来光だ。


部屋に帰り、寝ようと思った4時?ころ。部屋が騒々しくなる。同室の男2人組は、「行くぞ」の掛け声とともに荷物をまとめ始めた。出発するらしい。合わせるようにオバサングループも起き出した。オバサンたちは遠慮がない。大声で話しはじめる。まだ外は真っ暗な、こんな時間にどこまで行くのか。部屋に残ったのは、我々2人とイビキ男。夜も白みはじめた5時ころ、スタッフからのアナウンス。「今日は混んでいるので、朝食は5時から行います」すぐさま食堂へ。干し魚、のり、みそ汁、ゴハン。温かいのがうれしい。


食後、日の出には少し早かったが、上着を着て外に出た。朝の気温はマイナス1℃。風がないせいか、寒さはあまり感じない。人の立っている崖際まで行くと、何と目の前に雲海が・・・。蝶から東にどこまでも連なる雲海。雲の高さは2,400メートルくらいだろうか。こんなに見えるならもう少し雲が高く、すぐ足元からならもっといいのだが、と欲が出る。

日の出の時間は5時50分。まだ少し間がある、と思って後ろを振り返ると、なんと!うすく雲のかかった穂高が正面に見える。槍も見える。蝶から槍、穂高はこんなに近かったのかと驚く。間もなく出るだろう陽の光が反射して、雲が紫がかって見える。そして、雲海の彼方から日の出が始まる。



槍ヶ岳 穂 高
大キレット ヒュッテ近くの頂上から槍方面


薄青色の空が、一瞬オレンジ色に輝く。そして拍手と歓声が起きる。その後、小屋に戻って出発の準備。部屋に帰ると、どの部屋にも人がいない。6時10分、ほとんどの泊まり客が出発したあとのようだ。我々は、横尾に下りるだけだから、時間には十分、余裕がある。小屋の玄関で記念撮影後、出発。蝶の三角点に向かう。蝶ヶ岳の頂上は3つあるという。ヒュッテ近くの頂上(2,677メートル) 、三角点(2,664メートル) と蝶槍(2,635メートル) である。


歩きはじめた頃には穂高連峰の雲は全て取れ、南から前穂、吊り尾根、奥穂、涸沢、北穂、大キレット、南、中、大喰、そして槍ケ岳と、最高の眺望。超望。この景色を東に見ながら、途中、重いザックは放置して、身軽になって三角点へ。30分足らずで到着。記念撮影の後、常念への登山道から別れ、岩場歩きで蝶槍へ。蝶槍の頂上は岩場。4〜5人で身動きがとれなくなる。また、大勢の人が、次から次へとやって来るので、山頂の余韻を楽しむことなく、来た道を蝶と横尾の分岐まで戻る。


蝶ヶ岳ヒュッテ 蝶槍(手前)と奥は常念岳


分岐から下りはじめると、こんな早い時間に登ってくる一人の男あり。聞けば5時半に横尾を出て2時間で着いたという。確かこのルートの登りは3時間はかかるはずだから、何んという健脚だろう。更に、これから今日中に常念から三股まで行くとか。私の脚力では、とてもついて行けそうにない。私なら1泊2日コース。私も学生時代は、仲間に神風登山を自慢していたこともあった。今から思うとバカげたことをしていたものだ。「そんな時代もありました〜」と懐かしく思いながら、ひたすら下る。

ガレ場歩きから、はっきりわかる森林限界を通過し樹林帯へ。もう眺望はない。我慢の下り。早速、浮き石に大きく足を滑らせ、お尻からスリップ。後で見たら見事な擦過傷ができていた。それも2か所も。途中、休憩には手頃な広場があり、槍見台と思って小休止したが、実際の槍見台は、もっと下の方だった。どちらからも槍は雲のなかで見えなかった。このルートは、ガレ場、沢もどき、木の根下り、横尾に近づくと掘割の笹道と変化もあるが、ガレ場は段差が大きく歩きにくかった。


尾てい骨の痛みを耐えて、2時間40分かかって横尾に。ちょっとかかりすぎたので、横尾では休憩もせず、上高地に向かう。この日は日曜日。バスターミナルは大混雑している。上高地アルペンホテルでカラスの行水の後、バスで高山へ直行。別院前でバスを降り、JRの出発時間待ちに、上二之町の川尻酒造で古酒「天恩」と「地恵」を入手する。大きなザックを担いで1升瓶を2本もぶら下げて歩くのは、ちょっとなぁ〜と思い、宅配にしてもらった。


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また、この日記は、平成15年9月当時の個人的な記録です。ヤマケイのガイドブックのように、必要な情報を網羅してはおりません。リスクは自己責任でお願いします。