岐阜・三重・滋賀県を中心とした山歩記
登山日 : 平成23年7月16日
山 名 : 大谷山/滝谷山/雁又山/野村山
読 み : おおたにやま/たきだにやま/がんまたやま/のむらやま
標 高 : 256m/3981m/430m/229m
地形図 : 池野/北方(岐阜)
・国道303号線の大野町内「大野交番西」信号を北へ。
・大野町役場を右に見て更に北へ。運動公園の野球場を目指す。
・標識、道標は全くないので注意。運動公園の1本東の道をそのまま北進すると県道266号線に入る。
・道は山道となる(舗装路)。蛇行しながら登りきったところが花立峠。右手に駐車できる。この道をそのまま直進すると谷汲に出る。冬期は通行止めになることがあるので、揖斐土木事務所пi0585)23-1111で確認してほしい。通行止めの場合は、運動公園または牛洞から歩く道もある。一番下の「峠の絵地図」を参照。
《往路》花立峠---(15)---大谷山---(25)---滝谷山---(25)---雁又山
《帰路》雁又山---(25)---滝谷山---(25)---大谷山---(15)---花立峠---(10)---野村山---(5)---花立峠
前回、相戸岳に登ってから1ヶ月以上、土日の天気が不安定で、どこにも行かなかった。梅雨もあけたので、久々に出かけることにした。同行者が15時までに大垣に帰りたいというので、適当な山を探したところ「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース」の美濃「上」で「滝谷山」を見つけた。同行者は「夜叉が池」を希望したが、私の自宅から登山口まで行くのに2時間もかかる。往復4時間もかけて2時間で登り下りできる「夜叉が池」だけでは、もったいない。
35度以上の炎天下が続く日に、高山(こうざん)ならまだしも、400メートルほどの低山に登る物好きな人はいないだろうと思って出かけたが、地元のファミリー、グループはじめ、単独行の人など十数人と出会った。
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大野町役場で待ち合わせをし、花立峠へ。地図を忘れてきたので、大よその見当をつけて向かった。自転車の学生に運動公園への道を尋ね、ウォーキング中の男性に峠への道順を聞く。 曲がりくねった山道を登っていくと、広い峠に到着。地元の人が二人、ベンチで歓談中だったので、「ヒル」が出るか尋ねる。「この山にはいない」という返事だったので、忌避剤は使わず絵地図の看板を見て出発。 今日のコースは、花立峠(立花ではなく花立)から大谷山、滝谷山、雁又山の順で縦走し、同じ道を引き返して峠に戻り、野村山を往復する予定だ。峠から滝谷山への道は「城跡探索コース」の標識もあり、階段ありで整備が行き届いている。ここの階段は、鉄筋をコの字に曲げ、厚い板を咬ませるという独特のスタイルである。 大谷スカイラインの標識を左折する。尾根道は広く、緩やかで歩きやすい。正面に白い大きな看板が現れる。山の名は大谷山なのに、野村城址の説明が書いてある。 内容をご紹介すると「城というと石垣と天守閣を連想するが、野村城は地形に合わせた縄張り、掘切、土塁、曲輪などを設けた簡単な造りであった。平時は麓で政務を行い、非常時には山上に詰め、敵をいち早く発見して防御に備えた。南北朝の頃、この地を治めていた野村常陸守は、南朝に味方したが、北朝方の土岐一族、鷲見忠保に敗れて落城した・・・。」などとある。700年くらい前の話である。 盛り上がった山頂には、山名板と木のベンチがあり、南東には展望台が突き出ている。岐阜市内の金華山、百々ヶ峰、岐阜駅前の43タワーがよく見える。 |
花立峠の石碑 | 峠の広い駐車場 | |
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大谷山への登山口 | 道幅は広く遊歩道のよう | |
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鉄筋と木の板でできた土留め階段 | 大谷山の展望台 | |
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大谷山の頂上 | この道標は滝谷山まで続く |
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大谷山から滝谷山へは、方向を東に変え約1キロ。ピークを2つ越えてゆく。一部、急な登りもあるが、道は広く、遊歩道のようだ。面白いのは道の右側は雑木林なのに、左はヒノキの植林地帯となっている。右は大野町だが、左は谷汲村(現在は揖斐川町)なので、植林に対する取り組みの違いなのだろう。 滝谷山の頂上には、石が積まれ、木のベンチがいくつもある。大人数でも、十分休憩できる。また、三等三角点もある。展望は大谷山と変わりなく、南東側の展望があるだけ。 ここから雁又山へは、左の写真の標識に従う。右の道は金尾滝への道。、下りてしまうので、行ってはいけない。2〜3回、ピークを越える。道はシッカリとしているが、今までより狭くなり、アップダウンも急になる。やっと山歩きをしているという雰囲気になってくる。標識は少なくなるが、テープや布が至るところに付けられているので、迷う心配はない。左の写真はロープが張ってあるが、こんな道が続く。 雁又山の頂上には、誰が置いていったのか、プラスチックの折りたたみ式のテーブルベンチがある。薄暗いのですぐ引き返そうと思ったが、南東と西の一部が開かれており、風が通るので、ここで昼食とした。1時間半も長居してしまった。 |
滝谷山の頂上 | 滝谷山の三等三角点 | |
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雁又山への道標は少ない | アップダウンの山道が続く | |
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雁又山の頂上 | 雁又山からは南東に切り開き |
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雁又山から花立峠へは、来た道を戻る。今回は、炎天下の山歩きを覚悟していたが、登山道は木が生茂り、直射日光にさらされることがなかった。頂上も木々に囲まれ、ほとんど展望はなかったが、20〜30分おきに頂上があるので、日陰で休憩できた。この山は、炎天下の真夏でも十分登れる。 花立峠に戻り、花立広場への標識に従い、階段を登っていくと、東屋があり、その前には大野町の史跡、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建っている。宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。 野村山は、さらにその奥にあり、頂上表示は無く、とりで跡コースの標識が建っている。三角点は一番高いところには無く、その奥の木の根元に隠れるように、ひっそりと建っていた。同行者が見つけてくれた。 |
野村山への入口 | 古い歴史を伝える宝篋印塔 | |
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野村山の頂上 | 見つけにくいところにある四等三角点 |
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コース地図は国土地理院の電子国土Webにより作成したもので、コースの赤線はイメージです。