ハイホーの山日記

菅原道真ゆかりの寺
菅 山 寺 (かんざんじ)
339.8m



ケヤキの大木

菅原道真が自ら植えたと伝えられる山門前のケヤキの巨木


◎菅山寺を訪れて

午前中に七七頭ヶ岳を登り終え、午後は木之本町の呉枯ノ峰(くれかれのみね)に登るため、赤子山スキー場を目指した。赤子林道の駐車場に車を止め歩き出すと、遠くから雷の音が聞こえる。天気予報では夕方から雨だったが、秋雨前線の動きが早くなったようだ。菅山寺の登山道分岐を下って寺の周回道分岐に差し掛かった頃、パラパラと降り始めた。菅山寺の境内は回遊できるので、時計と反対回りの道を進んだ。近江八幡宮に着いたときには、傘が必要なほどの強い降りとなったので、雨宿りの場所を探し、本堂の軒下に飛び込んだ。この後、雨は1時間以上、激しく降り続いた。このため、呉枯ノ峰へ行くのは取り止め、菅山寺の境内を一周して駐車場に戻った。

「かんざんじ」というと、浜名湖の「館山寺」や寒山拾得で名高い中国蘇州の寺院である「寒山寺」を思い浮かべるが、ここは「菅山寺」と言う。以前、首相だった「菅」さんと同じ字を書く。現在は無住になっているので、手入れが行き届いておらず、お地蔵さまや石塔の幾つかは倒れたり、斜めになったり、また本堂は柱が傾きかけている。

上の写真は菅原道真が44歳のとき、自ら植えたといわれるケヤキだが、1千年以上、風雪に耐えてきたその姿には圧倒される。山門の前にあるだけに、まるで威風堂々とした仁王像のような風格を感じさせる。残念ながら、向かって右のケヤキは、満身創痍で、かろうじて立っていると言ってもよいほど衰弱している。樹木医さんの手当てが必要だ。しかし、このケヤキの巨木を目にするだけでも、ここまできた価値がある。この寺の縁起については、滋賀県観光ナビから要旨を引用する。

菅山寺の創建は天平8年(764)、孝謙天皇の勅命により照檀(しょうだん)上人が開いたのが始まりと伝えられている。当初は竜頭山大箕寺と称していたが寛平元年(889)宇多天皇の勅命により菅原道真が再興し、菅原の「菅」の一字を入れて寺号を大箕山(だいきさん)菅山寺に改めると共に3院、49坊を建立した。平安時代後期から鎌倉時代に最盛期を向かえ僧房105、末寺70余ヶ寺を数えた。戦国時代に入ると浅井家が庇護し厨子入りの毘沙門天や祝瓶が寄進され、石田三成も寺領30石を寄進している。江戸時代に入ると幕府から庇護され寺領50石が安堵された。寺宝である銅鐘は鎌倉時代中期の建治3年(1277)に鋳造されたもので、大正15年に国指定重要文化財に指定された。ケヤキは滋賀県の自然記念物指定。


  

写真説明

上:左から 登山道の菅山寺分岐/菅山寺に下りる山道(雨が降り始めたので薄暗い)/近江八幡宮
下:左から 重文指定の銅鐘、右に見えるのは本堂の柱/激しく降る雨が本堂の屋根から流れ落ちる/ケヤキの巨木



菅山寺へのアクセス(1.以外の所要時間は、ガイドブックとネット検索による)

 1.林道赤子線登山口
 県道284号線のウッディパル余呉の駐車場から赤子林道に入り、行き止まりから歩く。菅山寺まで15分。このルートが一番早い。
 2.大見登山口
 県道285号線の大見いこいの広場から登る。50分。
 3.坂口登山口
 国道365号線の坂口の天満宮から登る。1時間。
 4.呉枯ノ峰登山口
 JR木之本駅に近い伊香高校グランド横を通り、車道終点から登る。呉枯ノ峰経由で1時間50分。
 5.田上山登山口
 JR木之本駅に近い観音寺から田上山経由で1時間45分。
  
問い合わせ

  余呉町観光協会
 電話番号:0749-86-3085
 (以上、いずれも平成23年9月19日現在)


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