沖縄県の山歩記
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ティンダバナ

☆はじめに  /  Prologue

与那国空港から祖納(そない)集落に向けて車を進めると、数分で右上に断崖がそびえ立っている。それがティンダバナである。ヤマケイの沖縄県の山には「ティンダハナタ」として紹介されている。他にも「ティンダハナ」、「テンジャバナ」など、いろいろな呼び方があるようだ。このページでは「ティンダバナ」に統一したので、写真に写っている表示名と異なることがある。漢字だと「天陀鼻」と書く。昔はケンザバナ(犬坐鼻)ともいわれていたという。鼻は崖の端っこという意味である。登って先端まで歩けば、ナンタ浜から祖納の集落を一望できる天然の展望台である。平成26年10月には、国の名勝に指定された。

上の写真は、①麓から見たティンダバナ全容、②ティンダバナの崖の端っこから見た景色、③ティンダバナの展望台から見た祖納集落とナンタ浜、④サンゴの化石が残る崖壁の順でスライドする。
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☆データ  / Date

登山日 : 平成30年2月17日
山 名 : ティンダバナ
読 み : てぃんだばな
標 高 : 79.1m
地形図 : 与那国島

☆登山口へのアクセス  /  Access

空港から東に進むと祖納の集落に入る。その集落に入ると右手に交番が見えてくる。この交番の右にあるまっすぐのスロープを進む。400mほど登ると道は大きく右へカーブする。続いて左カーブするが、「ティンダバナ200m」の道標に従い直進する。車の方も左カーブせず、まっすぐ進めば木々に囲まれた駐車場に入る。

☆コース時間  /  Course time

祖納集落交番---(10)---駐車場---(5)---展望台---(20)---台地の草原---(30)---交番
休憩時間はなし。立ち止まって碑文を読んだリ、写真を撮る時間は含む。

☆記 録 / Report

ティンダバナは、地元の方には「サンアイ・イソバの展望台」の方がとおりがいいかもしれない。サンアイ・イソバというは、女の人の名前で、15世紀末に活躍したこの島の神女であり、島の支配者でもあった。身体の大きな力持ちの女酋長と書かれた資料もあった。祖納の集落には「女酋長」と言う名の居酒屋もあった。ただし、この店の女主人は小柄な方で、とても女酋長には見えなかった。琉球の歴史で女性が島のトップだったというのは、他の島には見られない。与那国島だけである。サンアイというのは、ガジュマルの意味。ガジュマルの木の下に住んでいたらしいので、こんな名がつけられたといわれている。

この時代、与那国島は、宮古島の仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)の攻撃を受けており、サンアイ・イソバは、祖納集落のナンタ浜からの攻撃に備えるため、ティンダバナに通って敵軍の侵略を見張り、戦のときには先頭に立って宮古軍を撃退したと伝えられている。「ティンダバナ」が「サンアイ・イソバの展望台」といわれる由縁である。島のガイドさんの話では、そういう歴史があったので、今でもこの島の女性は、相当に手強いらしい。また、サンアイ・イソバは、与那国島に鉄をもたらした人物としても語られており、現代でも島の偉人として伝わっている。

駐車場から展望台への道は遊歩道で、迷うところもない。途中、イヌガンの名がある洞窟、岩の割れ目からの二か所の湧き水、そして祠のあるところを進むと祖納の集落やナンタ浜が一望できるビュースポットにはベンチもある。頭上の琉球石灰岩の岩山を見上げると、ここが昔、海の中であったことが証明されるようなサンゴの化石を、トップのスライド写真にあるように断崖の壁一面に見ることができる。


交番 登山口
交番の右手にまっすぐ上がる道がある ティンダバナの入口、ここの標識はティンダハナタとある
説明碑 石島英文作詞の碑
入口の説明碑 「てんじゃばな」石島英文作詞の碑


ティンダバナの入口にある上の写真の碑文には、次のとおり記されている。
左の写真の「県指定名称 ティンダバナ 昭和49年5月13日指定」には、
字祖納の南西に屏風のようにそそり立つ標高約100mのティンダバナは、台形状の地形をなしている。眼下には祖納集落の家並が展開し、東にはウラブ岳、西には雄大な東支那海が一望され、天然の展望台になっている。展望台近くの岩陰には、豊富な湧水があり、岩壁には八重山の生んだ詩人、伊波南哲の詩に刻まれていて、「歴史の丘」として島人たちの憩いの場所にもなっている。
ティンダバナに続く南の傾斜面には、与那国島の英雄の一人サンアイ・イソバが出生した古邑サンアイ村が立地し、彼女にまつわる旧跡も多く残されている。彼女は16世紀の末頃に与那国島に君臨した女酋とされる人物であるが、巨体で剛力の持ち主であったといわれ、政治をよくし島人から尊崇を集めたと語り伝えられている。(サイト管理人の注)文中に16世紀末と記されているが、これは15世紀末の間違いだと思う。
沖縄県教育委員会
与那国町教育委員会

右の写真の「てんじゃばな」石島英文(石垣島出身の民衆詩人)には、次のとおり。
あの日登った てんじゃばな
雲もほうやり 浮かんでいた
バンジュロの花も 咲いていた

あの日登った きりぎしに
今日はペタコが 鳴いている
チロチロ清水の 音もして

いつかのぼった てんじゃばな
ナンタの離れに チラチラと
花のすすきも ゆれていた
1942年作
1985年4月 建立


散策路 イヌガンの碑
こんな道を歩きます イヌガンの謂れを記した碑
イヌガンの洞窟 祠
イヌガンの洞窟 途中の祠


イヌガンと呼ばれる洞窟は、与那国町民俗文化財に指定されており、こんな伝説がある。
大昔、久米島から中山王府への貢納船が出帆した。しかし船は荒天に遭い、与那国島へ漂着した。一行の中には女一人と雄犬一匹が加わっていて、ある夜から男が一人ひとり犬に噛み殺され、犬と女だけが岩屋で同棲するようになった。
一方、小浜島の漁夫が荒天に遭い、与那国島へ漂着した。女はこの島に猛犬がいることを知らせ、すぐに島を離れるよう忠告するが、男は女の美貌に惹かれ、逆に犬を退治した。
二人は夫婦になり七人の子宝に恵まれるが、ふとしたことから犬の殺害を知った女は、ついに犬の死骸を抱いて命を絶った。
犬と女が住んでいたところがイヌガンと言われている(以上、与那国町教育委員会の碑文より)。
現在、与那国島に住む島民は、この夫婦の子供の子孫であるという。

ティンダバナの展望台の崖壁には、伊波南哲(石垣島出身の詩人、作家)の詩のレリーフがかかっていた。
讃・與那國島
荒潮の息吹に濡れて
千古の伝説をはらみ
美と力を兼ね備へた
南海の防壁與那國島

行雲流水
己の美と力を信じ
無限の情熱を秘めて
太平洋の怒涛に拮抗する
南海の防壁與那國島

宇良部岳の霊峰
田原川の盡きせぬ流れ
麗しき人情の花を咲かせて
巍然とそそりたつ與那國島よ

おゝ汝は
黙々として
皇國南海の鎮護に挺身する
沈まざる二十五万噸の航空母艦だ


展望台からの眺め
ティンダバナから望む祖納の集落とナンタ浜
階段 湧き水
岩を削ったように見える階段 豊富な湧き水が出ている
隆起サンゴの岩塊 航空保安施設
ティンダバナの上の台地にある航空保安施設
ティンダバナ上部の草原
隆起サンゴの岩の塊が庇のようにせり出している ティンダバナ上部は平らな草原が広がる


このティンダバナの上の台地へも歩いて行くことができる。一旦、駐車場まで戻り南に向かう上り坂を行く。途中、 崎元酒造への左折の道の手前を右折すると台地に出ることができる。小高くなった航空保安施設を右に見れば台地の入口である。草の生えていない轍(わだち)の道をたどる。雨が降ると泥濘となる。柵はないので、奥まで行き過ぎて崖から落ちないように気をつけるのだが、ここには牛が放し飼いになっており、いたるところにフンが落ちている。草に隠れて見えないので踏まないように。また、近くに牛がいるときは注意して進む。現地のガイドさんに「悪さをすると襲ってきますよ~」と言われた。決してイタズラなどしないように。



このコース地図は国土地理院の電子国土Webにより作成したもので、コースの赤線はイメージです。
コース地図へ

このサイトでは、与那国島の山は「宇良部岳」もご紹介している。⇒ コチラから

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この日記は、登った日、当時の個人的な記録です。必要な情報を網羅してはおりません。リスクは自己責任でお願いします