ハイホーの山日記


高山祭・「君の名は。」聖地
日枝神社 (ひえじんじゃ)
高山市城山156


日枝神社本殿

日枝神社拝殿と大スギ


この神社は、平安時代末期の永治元年 (1141)に創建されました。正式名は飛騨山王宮日枝神社といいます。日枝は「ひえだ」ではなく、「ひえ」と読みます。御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で、毎年4月14日、15日に行われる例祭「山王祭」が有名です。なお、日枝神社の名のつく神社は、岐阜県には12社あり、飛騨地区だけでも4社あります。高山市民は「山王さん」とか「山王さま」と呼んでいます。

高山祭は、春と秋、一年に二回行われます。春は山王祭と呼ばれ、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社の例祭です。秋は10月9日・10日に行われる八幡祭で、城下町の北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭です。高山祭とは この二つの祭の総称で、京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭と共に「日本三大美祭」の一つに数えられています。高山祭のポスターに、赤い中橋を曳き巡しする屋台の写真が使われることがありますが、これは山王祭の写真です。何故なら、八幡祭の屋台は中橋を通ることがないのです。八幡祭は、安川通りから北側にある街の例祭だからです。

神社の沿革は、Wikipediaによれば、飛騨国国司で三仏寺城(注1)の城主である飛騨守平時輔(注2)が、近江国日吉神社(注3)を勧請し、三仏寺城の近くに創建しました。言い伝えによれば、平時輔が狩りを行なっていたところ、一匹の老狼を見つけまし。これを仕留めようと矢を射ましたが獲物は見当たらず、矢は大スギに深くつき刺さっていたといいます。平時輔は「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国より日吉大神を勧請し、日枝神社としたといいます。このときの大スギが、現在も境内に残る日枝神社の大スギだといいます。 養和元年(1181)、源義仲(注4)により三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失しましたが御神体は無事で、天正13年(1586)、金森長近(注5)が高山城に入城した後、慶長10年(1605)、日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転しました。
元禄5年(1692)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神とされました。寛延元年(1748)、本殿が再建され、この本殿は現在移築修復され、拝殿の南にある末社の富士神社社殿として使用されています。文政9年(1826)、真言宗仁和寺末となりましたが、明治2年(1869)、神仏分離により日枝神社に改称しました。
昭和10年(1935)、豪雨で裏山が崩れて本殿が倒壊し、現在の本殿は同13年(1938)再建したものです。

ご祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)について、我が国最古の古典「古事記」には次のように書かれています(日枝神社のHPより)。
「大山咋神、又の名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。近淡海(ちかつおおみ)の国の日枝の山に坐(ま)し、亦、葛野(かずぬ)の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ。」  大山は日枝(比叡)山を意味し、「咋」は主の意味と考えられています。即ち、大山咋神は、太古の昔から近江の国日枝山(ひえのやま)に坐します山の神であったと伝えられています。
4世紀頃、日枝の山の麓に神の御社が建てられ、全国3800社といわれる日枝神社の本宮日吉大社(滋賀県大津市坂本)の始まりです。 日枝の神は長い間「山王さま」、「山王権現」と呼ばれてきました。こちらの方がなじみがあるかもしれません。

拝殿前の高さ39m、幹周り7m、樹齢1000年の大スギは、岐阜県の天然記念物に指定されています。 日枝神社の大スギは、日枝神社の神木で拝殿に向かって右前に天を突くようにそびえ立っています。大スギの前の案内板には次のように記されています。
=日枝神社の大スギ=
〈県指定〉昭和31年2月24日
〈所有者〉日枝神社
〈所在地〉高山市城山156番地
〈樹齢〉推定1000年
〈員数〉一本
目通り 約7メートル
樹高 約39メートル
日枝神社は永治元年(1141)に当時飛騨を治めていた平時輔が、日吉山王(滋賀県大津市坂本)を勧請したのが起源とされている。その後、飛騨に入国した金森長近により、高山城の守護神として現在地に奉遷された。 御神木の大スギは、拝殿に向かって右側にあり、過去に何度か落雷の被害に遭っているが、樹勢はすこぶる盛んである。
高山市教育委員会



日枝神社参道入口 石段が続く
日枝神社参道入口 静寂の林のなか石段が続く
参道の大鳥居 朱の大鳥居
参道の大鳥居 朱の大鳥居
大スギ 山王祭
大スギ 中橋を渡る山王祭の屋台(るるぶさんよりお借りしました)


なお、日枝神社は、平成28年の大ヒット映画「君の名は。」の製作スタッフのクレジットタイトルの背景画面に使われている神社とされ、飛騨古川の駅や飛騨市図書館とともに聖地巡礼の一つといわれています。この下の画面を見比べてみてください。灯籠の形と配置、石段、石畳と縁石、全体の雰囲気がそっくりですね(右の画像は「君の名は。聖地、飛騨山王宮日枝神社へ行ってきた」よりお借りしました)。



君の名はのモデルとなった参道 クレジットタイトル画面
右の画面のモデルとなったと思われる場所 クレジットタイトル画面


私は学生時代に通算すると1年半ほど、高山市にいました。そのうち連続して9ヶ月間住んだのは安川通りの南でしたので、氏神様は日枝神社さまでしたが、その当時は一度もお詣りに行ったことがありませんでした。 (--、) 
このページは私の山登りサイト「ハイホーの山日記」の付録として作成したものです。



日枝神社境内配置図
日枝神社境内配置図(日枝神社のHPより)


(注1)三仏寺城(さんぶつじじょう)…現在の高山市三福寺(さんふくじ)町に存在した飛騨国最古といわれる城。
(注2)平時輔(たいらのときすけ)…平安時代の末期、飛騨の国司として三仏寺城に在城した。
(注3)日吉神社(ひよしじんじゃ/ひえじんじゃ)…滋賀県大津市坂本にある山王総本宮日吉大社勧請して日本各地に建立された神社。比叡山延暦寺の地主神。
(注4)源義仲…平安時代末期の信濃源氏の武将。木曽義仲の名でも知られる。
(注5)金森長近(かなもりながちか)…戦国時代の武将であり茶道に通じていた。 信長、秀吉、家康に仕えた。飛騨高山藩初代藩主。金森氏は江戸時代の元禄5年(1692)まで、6代107年にわたって飛騨国を治めた。今日の高山の基礎は金森氏によって築かれたといわれている。

◎アクセス
JR高山本線の「高山駅」が最寄り駅。名古屋、新宿、大阪、京都、岐阜、金沢、富山などから高速バスもあります。高山駅からは、道を間違えなければ、ゆっくり歩いて25分くらい。駅前の観光案内所で市内の観光地図をもらいましょう。高山濃飛バスセンターから路線バスも出ていますが本数は少ない。車の場合は、中部縦貫自動車道の「高山西IC」が最も近い。無料の駐車場があります。

◎このページは「ハイホーの山日記」の付録として作成しました。ほかにも、このサイトには次の付録があります。お時間がありましたらお立ち寄りください。
 ・鈴虫寺(京都市西京区)⇒ コチラから
 ・しょうざん(京都市北区)⇒ コチラから
 ・菅山寺(滋賀県長浜市)⇒ コチラから
 ・子の方(にぬふぁ:沖縄県那覇市)⇒ コチラから


ナビゲーションはトップページにあります。

TOPページへ

Copyright(C)2009 The climbing mountain of Hyhoo.